2020年6月28日日曜日

「ゆうひのてがみ」の解釈

2020年5月に平田治先生を講師にお迎えしたZOOMを活用したゼミが行われた。この日のお題は野呂昶の「ゆうひのてがみ」の解釈であった。参加者との教義や平田先生からの御指導を受けた上で、最終的にたどり着いた解釈を下に記録のために残す。


「ゆうびんやさん」は地平線の山々である

山田 洋一

1.「ゆうひのてがみ」の解釈

「ゆうひのてがみ」とは、「ゆうひで、できている手紙」である。「てがみ」は「ゆうひ」そのものである。つまり、日の光である。その光を背負ってくるのは「ゆうびんやさん」である。地平線にある山々(稜線)が、作者には「ゆうびんやさん」そのものに見えたのであろう。その「ゆうびんやさん」はゆうひを背負ってくる。時間の経過と共に「ゆうひ」は小さくなる。小さくなるから、相対的に山々は段々と大きくなる。山々が前面にせり出してきて、大きくなっていくように見える様子を、「さかみちを のぼってくる」と表現している。また、山々の影がのぼってくるようにも見えている。一方時間の経過とともに、日は沈み「ゆうひ」は段々と小さくなる。その様子が、まるで山々が「ゆうひ」をちぎって遠くからポストに「ほうりくんでいく」ように見える。やがて、辺りは暗くなり山々も手前に見えなくなり、元の場所に返ったあと、「いえいえ」というポストのまどに「ぽっと ひがともる」。その「いえいえ」は、山々から「ゆうひ(ゆうびん)」を受け取ったポストそのものに見える。

 

2.題名「ゆうひのてがみ」の「の」の検討

題名「ゆうひのてがみ」の「の」は連体修飾語をつくる格助詞である。この格助詞にはいくつも用法があるが、「材料」を示す格助詞だと解釈する。「絹のパジャマ」と同意だ。(ベネッセ表現読解辞典)

 

3.「のぼってくる」の検討

「のぼってくる」は、「『あがる』に比べて途中の経過点に目が向けられている」(大辞林)という。ここでは、「ゆうびんやさん」が一気に駆け上がってきたのではなく、郵便を一軒一軒に「ほうり」込みながら、夕日をちぎりながら坂道を上へ上へと移動してくる描写である。そのたびに、夕日は小さくなる。

 

4.「ほうる」の検討

「ほうる」は「投げ捨てるの意」である。(日本語語感の辞典)「ゆうびんやさん」が本物の郵便屋ならば当然しない行為である。しかも、「ほうる」には遠くから投げ入れるという意味がある。つまり、「ポスト」から遠い位置にある存在が「ゆうびん」を投げ入れているのだ。そう考えると、「ゆうびんやさん」は、人間ではない。これは、隠喩である。

 

5.「まるで」の検討

「まるで」は、「ちょうど、さながら」という意味で、ほとんどどこから見ても同じということである。ここでは「ゆうびんやさん」が「ちぎって」いる行為にかかっている。また、ちぎるとは「手などでこまかく断つ。こまかく粉砕する。」の意で、いずれも、手元で行う行為である。そう考えると、「ゆうひ」のそばにいる存在しか、この行為は可能ではない。

 

6.「ゆうびん」の検討

「ゆうびん」の「 」が問題だ。もちろん、通常「」は会話文につけられる。しかし、これを特別に区切りたい語句につける「 」としてとらえたらどうだろうか。本来は郵便物ではない「ゆうびん」を入れるポストとなる。

 

7.「ポスト」の検討

 ポストは、「ゆうひ」という「ゆうびん」を受け取るポストのことである。この詩の中で「ゆうひ」という「ゆうびん」を受け取った(と作者に見えた)のは、「いえいえ」である。だから、「ひがともる」のだ。


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梶   倫之

2020年6月27日土曜日

教え子の試合を見に行く

コロナのおかげで、予定がほとんどない週末が続いている。
今日は、教え子たちの野球の試合を観戦に行く。
それにしても久しぶりだ。
若いころ時々見に行っていたけれど、最近はとんとご無沙汰だ。
試合前に子どもたちが挨拶に来てくれる。
ちょっぴり恥ずかしそうで、ちょっぴりうれしそうだ。
私のせいではないかも知れないが、教え子たちは活躍した。
子どもたちのいい場面が見られて本当にうれしかった。

実は、私も小学生のころ、少年野球をやっていたのだ。
キャプテンでピッチャーだった。
私の技能は別にして、チームはそこそこ強かった。
父母は、試合の度に同行してくれたが、私にはそれが苦痛だった。
試合に負けて家に帰ると、それでなくても落ち込んでいるのに父親に更にへこまされるからだ。

中学校では、私は野球部に入らなかった。
正直に言うと、もううんざりだった。
二度と野球はすまいと誓った。

しかし、今日、教え子たちの姿を見ていて、あのときもしも野球を続けていたら?と何度か夢想した。

人生の選択は、当然良いものだけではない。むしろ、自分の可能性を潰してしまうような選択もある。もちろん、選ばなかったということは、逆に何かを選んだということで、だからこそ開けた道もあるだろう。

しかし、残念なのは、一度捨ててしまった可能性はもう一度選び直すことが、難しいということだ。私は今から中学生の野球の選手になることはできない。

今夜、巨人のユニフォームを着て、マウンドに立っている自分の夢を見るかも知れないな(笑)

7回まで投げるから、あとは角さん頼みます。


2020年6月13日土曜日

ボーダーと浮浪雲

『浮浪雲』は私にとって大切な本だった。
思春期にありがちな悩みを抱える私に中学の恩師が紹介してくれた。
それ以来、出版されている本はすべて集めた。
その第1~3巻の文庫版を買った麻布の小さなビルに入った本屋の内装やレイアウトを今でも思い出すことができる。
最初は、キャラの設定も、物語の主張もいい加減で、恩師がなぜ私に薦めたのか理解に苦しんだ。
しかし、3巻以降はぐいっと内容に引き込まれることが多かった。
特に、10巻までは「人情話」の様相が色濃く、非常に面白かった。
それ以降は、仏教思想や老荘思想の影響を感じさせる作風に変化していった。
私は、哲学書を読むように浮浪雲を読んだ
最終的には、112巻まで発刊されたようだ。
私は70巻までの読者なので、古くから中期に至る読者ということが言える。
後半は週刊連載に時々目を通すくらいだったが、それを見る限りでは、以前の作品を焼き増ししているような印象だった。
しかし、私の人生の一時期を救ってくれたことには違いない。

『ボーダー』も私の人生に欠かせない本だ。
意欲が下がったり、新しいことに挑戦するときには度々読み返し、自分を奮起させていた。この本がなかれば、私はいくつかのことをしなかったに違いない。
この本は、浪人時代入り浸っていた喫茶「Duke」のマスターが紹介してくれた。
Dukeは、私にとってコーヒー一杯の居場所以上の意味があって、人生の教科書みたいなところだった。そこで、ボーダーの他にも、蛭子能収や泉昌之の『かっこいいスキヤキ』に出会ったりした。

ボーダーも初期には、キャラが定まっていなかった。
しかし、後半主人公がブルーハーツに出会ってからは、スピードを上げ話は展開する。
胸にある熱いものを、お前も誰かに渡せと、主人公は読者に迫ってくる。

その後、私は狩撫麻礼の本を恐らくすべて読んだ。狩撫は、私にとっての聖書だ。

狩撫麻礼もジョージ秋山も鬼籍に入ってしまった。

私に何かを与えてくれた人も物も、もう遠くに行ってしまった。

それらに出会ったころの、ある種の潔癖さも、私は失ってしまった。

私は、浮浪雲にも、蜂須賀にもなれなかった。

そして、私は、いま私にさえなれないのかも知れないと、思っている。


2020年6月6日土曜日

誕生日の次の日だったのか

何度、絶望し。
何度、希望を持ち。
何度、また絶望したのだろうか。

優しい娘さんは、父の誕生日にくしを送ったようだ。
「おしゃれにも、きをつけてね」という言葉を添えて。

その翌日、暴力国家によって娘さんは連れ去られる。

何度、このくしを握りしめただろう。
何度、この言葉を反芻しただろう。
何度、両手で抱きしめた子の体の感触を思い出しただろう。

その娘さんは、私の子であり、あなたの子だったかも知れない。

横田 慈さん、ほんとうにお疲れ様でした。

https://news.yahoo.co.jp/articles/14b65a75a68e14a94a61e98e7ef3a241d3485d36

『人間関係の「ピンチ!」自分で解決マニュアル: マンガでわかる 10代のための』刊行

  人間関係の「ピンチ!」自分で解決マニュアル: マンガでわかる 10代のための | 山田 洋一, 明野 みる |本 | 通販 | Amazon 筆者のはじめての児童書です。本当に苦しんでいる子どもたちに直接言葉を届けたい。 もしよければ、教室に一冊おいていただきたいです。 内容...